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「埋木舎」を見ずして

 井伊直弼は語れない

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埋木舎(うもれぎのや)は、後に彦根藩第十三代藩主、さらに江戸幕府の大老となり日米修好通商条約の平和的締結に力を尽くした、井伊直弼が若き日々を過ごした場所です。埋もれ木とは、地中に埋まり外から見えない樹木のことであり、世間から捨てられて顧みられない身の上のことを意味しています。当時の直弼は彦根藩の世継ぎではなく、この屋敷で貧しい一生を送らねばならない不遇の境遇にありましたが、腐ることなく文武の修練に精進しました。この埋木舎での努力が、後に幕府の大老として開国を断行し欧米の侵略から我が国を守った度量と、茶の湯の巨人として高い名声を得た文化的教養とを形作りました。(詳細は各サブページへ)

埋れ木便り

4月13日(土)

​コラムに新規記事「直弼公と『武道』ー平穏なる守りー その2」を掲載しました。

4月4日(木)

​コラムに新規記事「直弼公と『武道』ー平穏なる守りー その1」を掲載しました。

埋木舎をより深く知るために(目次)

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国特別史跡
埋木舎

埋木舎(うもれぎのや)は、彦根藩第十三代藩主で江戸幕府大老を務めた井伊直弼が、17歳から32歳までの15年間を過ごした屋敷で、国指定の特別史跡です。直弼は十一代藩主井伊直中の十四男であり、嫡子ではなく庶子だったので、十二代藩主直尚の時代には彦根城の御殿を出て... 〈続き〉

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埋木舎
10の不思議

埋木舎には謎が多い。現当主が語る10の不思議 ①大門の鬼瓦 表は武家、裏は寺 ②玄関先、斜めの廊下が左右に2列 ③茶室「澍露軒」には躙り口が無い ④座禅の間の釘隠しー2匹の兎 ⑤庭造りと水琴窟 ⑥直弼の心のシンボル「柳」 ⑦庭の木々には薬草が多い ⑧安産の神の祠(ほこら) ⑨屋敷内には井戸が七つも掘られていた ⑩御居間の便所の金隠しの向き 〈続き〉

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井伊直弼の
生涯

井伊直弼は、1815(文化12)年10月29日、十一代藩主井伊直中の十四男として、彦根城中・槻御殿(黒御門前屋敷)で誕生しました。直中は当時50歳で十四男五女の子福者でした。母堂は側室のお富の方(当時31歳)で、彦根御前と称され美貌の賢夫人として評判でした。直弼は... 〈続き〉

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井伊直弼と
茶の湯

井伊直弼は埋木舎時代、ちまたで「茶歌ポン」と呼ばれていました。これは茶の湯、和歌、謡曲の鼓の音「ポン」であり、直弼はそのいずれにも造詣が深かったのですが、特に茶の湯においては、その精神的バックボーンは禅の修行と密接な関係がありました。直弼は13歳の頃から... 〈続き〉

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